冬季五輪札幌招致を機に多様性のある共生社会へ。パラスキー日本チームGM・荒井秀樹さん講演会報告記

6月30日、「パラアスリートを応援する会」のキックオフイベントとして、パラリンピックスキー日本チームのゼネラルマネージャー、荒井秀樹さんによる特別講演会「パラが札幌に!?パラを知ろう! パラリンピックの最前線から」が札幌で行われました。日本パラの幕開けともいわれる1998年の長野オリンピック・パラリンピックの準備から30年近くも運営に携わり、数多くの世界大会を体験してきた荒井さん。パラスポーツに対する理解を深めてもらおうと、大学での授業や日本各地での講演も行っています。

今回は、3月に行われた橋本聖子さんのトークショーをきっかけに、“パラリンピックについてもっと勉強をしたい”と興味を持った有志が「パラアスリートを応援する札幌市民の会」を結成。会のメンバーでもあり、札幌大学の客員教授でトークショーの司会も務めた中田美知子さんが、同大で「パラリンピック概論」を教える荒井さんを招いての開催となりました。「パラリンピック開催をきっかけにバリアフリー化が進めば、札幌がより障がい者にやさしい街になる。それは、高齢者や乳幼児を連れた方など、すべての人にとってやさしい街になるということです」と中田さん。会場には定員を超える人たちが集まり、札幌市スポーツ局からも札幌冬季オリンピックの開催計画についての説明もありました。


パラ選手の育成は、ゼロの状態からのスタート

旭川市出身で、自身もクロスカントリースキーの選手であった荒井秀樹さん。ジュニアの指導を行っていたのが縁で、長野オリンピック開催の2年前、1996年にパラリンピックのヘッドコーチに就任しました。しかし、厚生省(当時)パラリンピック準備室の担当者からは「まだ選手が一人もいない」と聞かされてびっくりしたそうです。わずか2年の間に、選手を国際大会に出られるようにするのは至難の業。なんとかして人数を集めましたが、これが荒井さんのパラリンピック選手育成、強化を行う指導者としての始まりでした。

当時の日本は、パラスキーのコースもどのように造ればいいか分からず、関係者も手探りの状態。視察に訪れたスウェーデン・スンネのパラ世界選手権では、荒井さんにとって驚きの連続でした。盲導犬を連れた全盲のノルウェー人監督がいたこと、宿泊先のホテルでは、ドイツの車いす選手と全盲の選手が助け合いながら2人だけで朝食に来ていたこと。大会が始まってみれば、レベルの高さに衝撃を受けます。当時の日本では当たり前だった「障がい者は周囲に“助けてあげる”人たちがいて支えてもらう存在」といったイメージが崩れ落ちた瞬間だったそう。

その後、パラリンピックに通用する選手の発掘も積極的に行った荒井さん。中学生の時にスカウトした新田佳浩選手は、後に2010年のバンクーバー大会と2018年の平昌大会で金メダルを獲得しています。2004年には初のパラスポーツ実業団チーム「日立ソリューションズ スキー部AURORA」を立ち上げ、監督に就任。選手に合った用具の開発にも力を入れました。長野大会から平昌大会の6回は日本代表監督、北京大会はチームリーダーとして、7大会連続でメダリストを輩出しました。


■障がい者のための仕組みづくりが、結果として誰もが住み良い街に

講演会では、今から100年以上も前に聴覚障がい者の野球選手のために、米国メジャーリーグの審判がアウト、セーフ、ボールなどをジェスチャーで示すようになったという話から始まりました。その選手は、1890年代に活躍したウィリアム・ホイという選手で、メジャーリーグで三冠王、2千安打など素晴らしい成績を残したそうです。近年は日本でも、陸上競技などでスタートランプの光を見て聴覚障がい者がスタートを切るなど、障がい者が一般の競技大会に出られる時代を迎えてきているそうです。

続いて、パラリンピックが開催された都市で、荒井さんが実際に見てきたバリアフリーに関しての事例をいくつか紹介してくれました。2012年のロンドン大会では、地下鉄の路線図に車いすのマークがついた駅があり、「車いすの人がホームまで一人で行ける」「ホームと車両の段差がなく、一人で乗っていける」とマークの種類が分けられていたそう。昨年の東京大会では、駅のホームと車両の間の段差・すき間の解消を行い、分かりやすく表示するなど、車いすの人が一人で乗り降りできるように変わりました。また、大会期間中、飲料メーカーのサポートで選手や関係者が自由に飲めるよう設置されたドリンクボックスは、縦列に同じ種類を並べることで、車いすの人もいろんな種類を選べるように工夫されていたそう。「これは普段の暮らしの中、例えばコンビニやスーパーの陳列にも応用できることです。このように知恵を出して工夫していけば、実現できるバリアフリーはいくらでもあると思っています」と荒井さん。

一方で、次のようなトラブルもあったそう。2018年の韓国・平昌(ピョンチャン)大会では、水洗トイレに手すりはあったのですが、水を流すのがペダルを踏むタイプで車いすの人が使えないということが。これは、トイレを設置した業者が、車いすユーザーの中には足が使えない、両足がない人がいるという認識がなかったためでした。2022年の北京大会でも、選手の移動用にゴムマットが敷いてあったのですが、車いす用のスロープに余ったマットが山積みになっていて使えないということがありました。これらのトラブルに共通しているのは、「実際の障がい者が使うイメージを業者の人たちが持てなかったことです」と荒井さんは指摘します。大会運営者やコーチ、選手、関係者、ボランティアだけでなく、すべての人たちがバリアフリーに対する考えや理解を深めていくことがとても大切なのです。「2030年の札幌招致に向けても、社会の中にあるバリアに気付いて、その解決に向けて考えていかなければいけません。そして、こういったことがよく分かる選手や当事者の方に、どんどん提案していただくことが必要だと思います」。パラリンピックをきっかけに街がバリアフリーになっていくことは、結果として社会の利益になるのだとよく分かります。


■子どもの頃から知る、触れることが共生・多様性社会につながっていく

パラリンピックのほかにも、国際パラリンピック委員会(IPC)主催によるパラスキーの国際大会は2年に1回、そしてワールドカップは毎年、比較的小規模な町で行われています。北海道でも、2015年には旭川市で国際大会、2017年と19年には札幌市でパラノルディックスキーのW杯が開かれました。荒井さんは、「特に子どもたちには生の試合を見てもらいたいです。海外選手の活躍ぶりを見ると本当に驚きます。また、私は必ず海外チームにお願いして、現地の学校を訪問、生徒との交流活動もしてもらっています。こういった活動でファンを作っていくことが、オリ・パラ教育を進める実践の場につながっていくし、この中から『自分もやってみたい』という子どもたちが増えればうれしいと思っています」と話します。

さらに、2019年にカナダのプリンスジョージで行われた世界選手権大会で荒井さんが見た光景についても話をしてくれました。応援でバスに乗ってきた学校の子どもたちがボランティアのいる駐車場を訪ね、「どんなことに注意しているのか」と質問すると、ボランティアの方が「車いすの人が乗り降りするから、これぐらいの幅を取るのだよ」と誇りを持って答えていたそうです。「ボランティアの大人たちも障がい者に対するさまざまな配慮が当たり前にでき、子どもたちは普段からそういったことを見ているから、大人になれば自然とボランティア活動をするように。こうした環境が人の優しさや社会の暮らしやすさを育てていくのだと私は思います」。子どものころから知ること、触れることが多様な社会への広がりにつながっていくというわけです。


■冬季五輪招致に向けて「する人」「支える人」「見る人」を増やす

「2030年札幌招致に向けて、『する人』『支える人』『見る人』を増やすことが必要」と荒井さん。1番目の「する人」については、例えば札幌市では下肢に障がいのある人が座位で滑れるシットスキーの貸し出しや体験会を行っているので、実際に体験してみることが大切に。2番目の「支える人」、つまり指導者については、全国初の取り組みとして札幌市がシットスキーの指導者講習会を開いているそう。さらに、海外の事例で紹介したようにボランティア文化がより多くの市民の方々に浸透していく取り組みも必要だと荒井さんは考えています。3番目の「見る人」も、子どものうちから生の試合を見ること、また地元に多くの大会を招致することでファンを増やしていくことが重要としています。「こうした環境づくりにより、多くの人がパラに触れる“体験”をすることで、私たち、ひいては社会が変わっていきます。札幌五輪に向けた取り組みで、“すべての人にやさしいまち”が生まれるのです。“パラリンピックの父”と呼ばれるルートヴィヒ・グットマン博士の言葉に『失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ』という言葉があります。あるものを最大限に使って勝利に向かう、そしてないものは用具などの工夫でカバーをする。これは決してパラアスリートだけのことではなく、社会の中の全てに通じるのではないかと思います。札幌市民、北海道民の皆さんが、冬季オリンピック・パラリンピックのビジョンを楽しく描くことで、多様性のある共生社会としての明るく元気な札幌、北海道へ変わっていくと思います。私も一緒に頑張っていきます」と最後に締めくくってくれました。



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書いた人/高橋明子
千葉県出身、業界紙の編集アシスタントなどを経て北海道に移住。現在はフリーライターとして北海道の観光、食、人物、まちづくりなど、さまざまなジャンルで“社会科見学”をしています。
https://tegetsushin-sapporo.com/

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