LINKな人 vol.8 櫻井田絵子さん(人財醸し家・ファシリテーター)

今回のLINKな人は、LINK!magazineで「人と人の出会いの不思議」をテーマに「この素晴らしき世界の、名もなき日々」を連載中の櫻井田絵子さんです。2022年にエッセイ集「月のような山―あのころに戻る時間」を出版。読み終わると何か子どもの頃の宝物を思い出したような丁寧で温かみのある文章が印象的です。数年前まで東京に暮らし、大手製薬会社で海外人事などに携わっていた櫻井さんが、生まれ故郷の山形・鶴岡に戻った理由や今の生活についてお話を伺いました。

写真提供:荘内日報社

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経歴を見る限り、バリバリと仕事をこなすキャリアウーマンのイメージを抱いていましたが、実際にお会いすると、書かれる文章と同じく丁寧な話し方をされる柔らかく温かい方でした。

櫻井さんは、18歳で山形から大学進学のために上京。大学では英語を学び、卒業後は国立病院の事務を経て、外資の製薬会社に勤務します。製薬会社では、新薬の承認を得る部署に所属。データを収集したり、論文を日本語に訳したり、ドクターのところへ説明に出向いたり、忙しい日々を送っていました。在籍中、4つの新薬が承認され今も使われているそうですが、残業が100時間を超える月もあり、「当時はまだメンタルヘルスという言葉は使われていなかったけれど、考え方がネガティブになるなど自分に異変を感じて退職することに」と櫻井さん。その後、しばらくアジアを放浪し、1997年大塚製薬に入社します。

大塚製薬では人事に携わることになります。最初の一年、社長のところを訪れる海外の取引先やグループ会社の人たちの応対をしていた櫻井さん。社長室の前で外国の人たちと談笑している様子を見た当時の社長から、「君と話しているとみんな自然体で楽しそうなんだよね。人事の仕事で大事なのは相手が自然体でいられること。本質がそこから見えてくるからね。だから、君には人事に関わってもらいたいな」と勧められます。櫻井さんは、「待っている間に皆さん緊張しているから、下手な英語で冗談を言ったり、バカ話をしたりしていただけだったんだけど」と、当時のことを思い出して笑います。

それ以降、海外に関係ある人事の仕事を担ってきた櫻井さん。とにかく忙しい日々で、「忙しいことがいいこと、充実している証だと思っていたんですよね、その頃は」と振り返ります。ところが、東日本大震災を機に、人生や幸せ、生きることについてあらためて考え直すようになります。同じ年に最愛の母親を亡くしたことも大きなきっかけとなりました。多忙であることがいいと思っていた自分に違和感を覚え、自分の在り方に意識を向けるようになります。その頃から社員教育を担当するようになり社外のセミナーなどに参加し、これまで接することのなかった様々な職業やタイプの人たちと話をしたりするうちに、「会社員という鎧を脱いだら、自分には何が残るのだろう」と考えるようになります。

2016年、56歳のとき、生まれ故郷の山形へ帰ることを決め、大塚製薬を退職。「震災のあと、5年以内には山形へ帰ろうと考えていました。18歳で山形を出たときは、ずっと東京にいるつもりでいたんですけどね…。震災のときに、コンクリートに囲まれたここで死にたくないって思ったんです」。

山形に戻った櫻井さんは、まず自分に何ができるかをじっくり考えます。「子どものころ、いつも母親とおしゃべりする場所が台所だったのを思い出したんです。並んで料理の手伝いをしながら、いろいろな話をしました。それで、台所って心が開く場所なんだなって思って。人が集まって一緒に料理しながら、たくさん話をして…、食を通じて人が繋がり合えるようなキッチンスタジオがあったらいいなと思いました」。食べることも大好きという櫻井さん、オープンキッチンのある「コワーキング・キッチン花蓮」をオープン。現在は、子ども向けの料理教室や地元の農家さんの野菜を使った料理イベントなどをサポートしています。

コワーキング・キッチン花蓮で子どもたちと料理作り

さらに、長年人事に携わってきた櫻井さん。さまざまな企業などから人事の相談を受けることも多く、「オフィス櫻井」を立ち上げ、社員や幹部の人財育成に取り組んでいます。「会社の運営で大切なのは社員のコミュニケーションと対話。うまくいっている会社は双方向になっているけれど、そうではない会社はコミュニケーションが一方的なんです。今は、いろいろな企業に入らせてもらって、社員の方々の声を聞き、みんなと一緒にビジョン作りに取り組んだりさせてもらっています」。

櫻井さんは山形に戻ってきてから、東京で働いていた頃は思いもしなかったいろいろな気づきがあったと話します。「子どもの頃には理解できなかったことが、今になってやっと分かったり、受け止められたり。そうしたら、それを忘れてしまう前に書き留めたくなったんです」。懐かしさの中に浮かび上がる新鮮な気づき。それは櫻井さんにとってとても愛おしく感じられるものでした。たまたま町のタウン誌に知り合いがいて、隔月でエッセイを書くことになります。

4年間連載が続き、書いたものをまとめて出版しようかという話が出ます。未発表のものも7編書き下ろし、「月のような山―あのころに戻る時間」(出版/港の人)が2022年8月に発売されました。そこには、少女時代の自分を見つめる櫻井さんの温かなまなざしで手寧に紡がれた文章が並びます。情景が浮かんでくるようなそれは、読み手にも忘れかけていた子どもの頃の感覚を思い出させてくれ、温かい気持ちになります。

櫻井さんの著書「月のような山―あのころに戻る時間」(出版/港の人)

「この1冊に子ども時代の自分を出し切った」と話す櫻井さん。春から別のタウン誌への連載が決まって、「今度はリトリートをテーマに、庄内を訪ねてきた人を素敵な場所に連れていくときのことを書いていこうと構想しています」とのこと。そこに世代や人生というテーマを重ねて書いてみたいと話します。

コワーキング・キッチン花蓮を作り、台所のある暮らしをはじめてから、「自分自身が自然体の自分に整ってきた感覚があります」と櫻井さん。花蓮がある山形の鶴岡市はユネスコ食文化創造都市にも認定されている都市。「世界に誇れる食文化があるこの場所で、これからも地元の仲間たちと一緒に食や農のことに取り組んでいきたいですし、子どもたちと一緒に料理を作ったり、食べたりする中で、子どもたちに生きる力を育んでもらいたいなと思っています。ワクワクしながらみんなでやっていきたいですね」。かつて大塚製薬の社長が相手を自然体にさせると評したように、対話を大切にする櫻井さんだからこそ作れる「場」がここにあるように感じます。

書くことは自分を整えることにもつながっているという櫻井さんは、「これからも書き続けていきたいですね。それが、誰かのインスピレーションや何かの行動のきっかけになってくれたらそれも嬉しいです」とニッコリ。これからも山形から温かなメッセージが届くのを楽しみにしています。

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櫻井 田絵子さん
人財醸し家・ファシリテーター
山形県鶴岡市在住。コワーキング・キッチン「花蓮」主宰、人財育成「オフィス櫻井」代表 キャリアコンサルタント、フードコーディネーター、経営学修士。2022年エッセイ集「月のような山―あのころに戻る時間」を上梓(Amazonほか)

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聞き手/中村昭子(徳積ナマコ文章作成室)

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