アートな小部屋・春宵一刻 vol.3「黄色いマンション黒い猫」

アートな小部屋・春宵一刻

サステナブルな視点を持った人たちが、アート、本、映画などについて語る小部屋。
「春の夜は雅趣に富み、そのすばらしさは千金に値するもの」という意から、
この小部屋を訪れた皆さんのひとときがそうあってもらえたらと願っています。

ひょんなことから、キョンキョンこと小泉今日子さんの動画を、すっかり時間を忘れてみてしまった。キョンキョンは私の青春の1ページ。でも、もともとファンではない。当時は明菜派VS聖子派みたいなことを、みんなが教室で話していた時代。私は明菜も聖子も両方好きで、気分的には明菜になれない聖子だったから、教室で松田聖子を熱唱していた。そんなおバカな時代を思い出しつつ、動画で話すキョンキョンの俯瞰目線が「なんかいいな〜」と思った。

彼女曰く、「私は聖子ちゃんと明菜ちゃんがいたから成り立つ商品だったと思うの」。こう発言した。一方で、マツコデラックスに「キョンキョンはなんか鼻につくのよ」と言われ、「わかる、わかる!鼻につくよ。よく言われる」と言い笑いながら納得の表情。これ、なかなか言えそうで言えないこと。そんなことを考えていたら、彼女が以前エッセイを出していることを知った。作品名は「黄色いマンション黒い猫」。講談社エッセイ賞なるものを受賞しているらしい。思わず、アマゾンでポチッである。彼女に興味が湧いたのだ。

早速読んだ彼女の世界観に、先程の俯瞰目線の在処が見えた。少し戸惑いを纏い、恥ずかしげに語られる一編の中に、彼女の正直さが感じられた。文章というのは実に不思議で、実際に発する言葉、所作そんなものを飛び越えていく力がある。確かに創作は可能だから、何となく語彙や文体で誤魔化すことも可能な世界なのだけれど…。それすらも透かしてしまうほどの力が文章にはあると思う。それはなぜなのだろうか?

きっと、文章には読み手のフィルターを通してでしか読み解けないものが存在するからだと思う。例えば実際に出会って話したならば、表情、空気感、オーラ、そういった複雑に絡み合ったものが、たくさんの情報として目の前の相手に解析された上で、発する言葉の印象を決めるだろう。けれど文章、とくに、紙を媒体とした文章は行間を通して読み手に伝わり、濾過され、書き手のその人らしさみたいなものの熱量が伝わっていくと思うのだ。

キョンキョンのエッセイには彼女が感じた世界が素直に書かれているだけだった。とりたてて強烈な出来事が描かれているわけでもない。なのに、読後、彼女の洒脱さが際立っていた。それは取り留めのない風景を単なる風景として感じない彼女の感受性。そして、どこか淡々と受け止めてゆく潔さ。そんな彼女のエンターテイメント性がもたらすものだと思えた。どこにいても、どんな時でも、多分、彼女はいつも彼女なのだろうと思えた。 年齢を重ねると「飾らない」ということほど難しいことはないと感じることがある。若さは飾らないことが美しいほどそのままでいい。でも、少しずつ年齢を重ねると「飾らない」ことがイコール美しいということではない。身だしなみも大切なその人の一部となる。そして、言葉選びも重要だ。そんなことを考えさせる小泉今日子さんの作品。まるで彼女が傍に黒い猫になって、隣に”ちょこん”と座って息をひそめているようなそんな軽やかな作品である。

書いた人/Masae Kawaminami
夢は、「人生がアートな世界」になること。アートとは感動であり、五感に響くすべてがアートと捉え、それが欠けた人生は無味乾燥だと考える。自他ともに認める無類の本好きで、映画・音楽・舞台への造詣も深い。どんな環境にいても、アートが人の心の拠り所であってほしいと願い、コラムを執筆。北海道在住。

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