LINKな人 vol.9 幡優子さん(株式会社テックサプライ代表取締役)

創業から来年30周年を迎える札幌のビルメンテナンス会社「テックサプライ」。創業者であり代表を務める幡優子さんは、「ビルメンテナンスは環境産業」と話します。ビルメンテナンスや警備業務を主軸にしながら、環境事業のほか、今年からはIT事業にも乗り出す同社。一見何の繋がりもないように思えますが、話を伺っていくと、そこには幡さんの根っこにある「世のため、人のため」という熱く強い想いがあり、すべてが必然だったのだと分かります。今回は、そんな幡さんの歩みや想いを紹介します。

実家は酪農家。大学卒業後はスーツを着る仕事に

幡優子さんは、北海道の東部・牡蠣で知られる厚岸町出身。実家は酪農を営んでいました。3人兄弟で、兄と弟に挟まれた真ん中の幡さんは、豊かな自然に囲まれた環境の中、木登りなどが好きなおてんばな女の子だったそう。

地元の高校を卒業後、江別の酪農学園大学へ進学。農業経済学科で学びます。「漠然と将来は酪農関係の仕事に就くか、酪農家に嫁ぐのだろうと思っていたので、自然と進路は決まっていましたね」と振り返ります。

卒業後は地元へ戻るつもりでしたが、母親から「すぐに戻らなくてもいいよ」と言われます。それならば違う世界も覗いてみようと、大学の恩師の紹介でビルメンテナンスの会社に就職します。事務職ではなく、営業系の業務社員として入社。営業の女性社員が少ない中、男性と同じくスーツを着て、マンション管理などを担当しました。

「生きる望みになれるなら」と持病のある夫との結婚を決意

仕事をバリバリこなしていましたが、社会人2年目に入り、「どこかでやはり酪農をやらなきゃならないという意識が自分の中にあったんですね。海外で酪農実習を受けようと思って準備を始めていました」と幡さん。そして、辞めるという話を上司に伝えると、彼から突然病気の話を打ち明けられ、プロポーズされます。腎臓に持病があり、もうすぐ透析も始まるが、自分と一緒に生きてもらえないかと。 

「そのときね、海外実習なんて行ったら目の前にいるこの人を見捨てることになってしまうなと思ったんです。自分がこの人の生きる望みになれるならば、それは酪農をやるよりもずっと意味があることだなと思ったんです」 

そして24歳で結婚。周りに何を言われるでもなく、これが20代前半の女性の決断だということに驚きます。翌年には一番上の子どもを出産し、三十歳までに三人の子宝に恵まれます。とはいえ、一年のうち三分の一は入院生活をしている夫を支えながらの子育ては、想像するだけで大変そうです。「でもね、その当時はこういうものだと思っていて、いつもどうしたら夫が元気になるだろうってことばかり考えていたので、実は大変だとあまり思ってはいなかったんです。実家の母からはラクでいいねって言われていましたし」と笑います。「昔の酪農家って、本当に大変だったんです。母は酪農の仕事の傍ら、家事も子育てもしていたので、当時仕事はしていなかった私がラクに見えたみたいですね(笑)」。

夫が他界。三人の子どもたちを抱え、起業

幡さんが三十四歳のときに夫が亡くなります。当時、九歳、七歳、四歳の子どもたちを抱えていた幡さん、悲しみに暮れてばかりもいられませんでした。生きていくために何ができるかを思案。「子どもたちはまだ小さいし、そろばんもパソコンもできないし、自分が経験してきたこと、できることを考えたら、搾乳かビルメンテナンスしかなくて…」。どこかに就職するにしても、三人の子育てをしていると時間の縛りが気になります。さらに家のローンなどもあったため、月々に必要な金額がサラリーマンの給料では足りません。「じゃあ、自分で会社を作って社長になるしかない」と起業を決意。一九九四年九月、ビルメンテナンスの会社「有限会社テックサプライ」を立ち上げます。

当時、幡さんの父親はホクレンの副会長を務めていました。幡さんが起業すると伝えると、行政書士を紹介してくれたり、ホクレン関連の業者を紹介してくれたり、力添えをしてくれたそう。紹介先を回りながら、見積もりを出して、仕事が入るとパートさんたちに清掃などを依頼。創業間もないときは取引先のスーパーの一角を事務所として借りていましたが、半年後には札幌駅近くの事務所へ移転。業績も少しずつアップしていきます。創業から二年は一人で営業も事務もやっていましたが、さすがに無理が生じはじめ、事務のスタッフにも入ってもらいました。その頃、公私に渡って幡さんを支え、ともに同じ夢を追うことになる宮澤洋子さんに出会います。「当時、洋子さんにはよくうちの子どもたちの面倒を見てもらっていました」。

かつて事務所があった札幌駅そばのビル

有限から株式会社へ。社員=家族を幸せにしたい

二〇〇二年には株式会社に変更。このとき幡さんの中で決めたことがありました。それは、リストラをしないということ。「子どもたちを育てるため、自分の家族のために始めた会社でしたが、株式会社にするときに『社員は家族だ』と思ったんです。その家族を大切にするのは当然。どんなに大変でも守っていかなければと思いました」。その頃、京セラの名誉会長である稲盛和夫氏の盛和塾に入塾。そこで知った「全社員の物心両面の幸福を追求する」という考え方が、幡さんの想いと合致します。「自分も含め、今、ここに命があること、人が存在していること自体が奇跡で、その中でご縁があって繋がりが生まれる。社員たちとの出会いもそう。それってすごいことだと思うんです。だから、ご縁を大切にし、ご縁に感謝しなければと思っています」。

また、時を同じくして、最愛の父親が他界します。「万人は一人のため、一人は万人のため」というのが口癖で、常に周りの人たちのことを考えてきた父親。その背中を見てきた幡さん、「父は農業を通じて北海道を豊かにしたいと奔走していました。私は自分の事業で北海道に貢献したい」と話し、事業は違えど父親の精神をしっかり引き継いでいます。

世の中の動きもあり、常に経営が順風満帆というわけではありません。「やっと暗く長いトンネルを抜けたと思ったら、振り出しに戻ることもしょっちゅうですよ」と笑う幡さん。大切な家族(社員)を守るために奮闘する日々ですが、いつも笑顔でいることを忘れません。「亡くなった夫の看病をしているときに思ったんです。大変だと顔に出してしまうことは決してプラスにはならない。暗い顔をしていたら、周りも暗くなってしまうし、とにかく顔を上げて、前を向いていくしかない。だから大変なときであっても笑顔でいることは大切だと思っています」。会社という一家の大黒柱として、社員が明るい気持ちで安心して働けるようにと、どんな大変なときでも「大丈夫だよ」と笑顔で声をかけています。

創業から15年ほど経った頃。どんなに大変でもこの笑顔で乗り越えてきました

持続可能な社会のために取り組む環境事業

社員を守っていくため、持続可能な会社でなければならないと考えていた幡さん。持続可能な会社であるためには、社会全体も持続可能でなければという意識が昔からありました。時を同じくして、世の中もSDGsへ意識を少しずつシフトし始めます。また、「ビルメンはただ掃除をしているだけではないのです。掃除を通じて、環境を整え、ビルにいる方たちの健康を守っているのです。それは、たどっていくと地球環境を守っていることにも繋がります」と幡さん。東京の大手ビルメンテナンス会社の方が、「ビルメンは環境産業」と話しているのを聞いたとき、まさにそうだと感じたそうです。

もともと環境のことを考えて、ビルメンで使用する洗剤などは環境にやさしいものを用いていたテックサプライ。幡さんは、宮澤さんに勧められて読んだ日本環境設計(現・JEPLAN)の岩元美智彦会長の著書に強く共感します。JEPLANは服を資源に戻すという技術からスタートし、現在はペットボトルの国内完全循環も推進している世界中から注目されている企業。あらゆるものを循環させ、サーキュラーエコノミーを促し、持続可能な社会を実現させるという岩元会長の考えは、幡さんを動かします。2015年、岩元会長は映画「バックトゥザフューチャー」に登場した「デロリアン」(ごみを燃料にして動く車型タイムマシン)を、実際に消費者の服を集めて作った燃料で走らせることに成功していました。幡さんは、「ぜひ札幌でも!」と翌2016年に岩元会長を招き、デロリアンのイベントを開催。たくさんの人たちに、「ごみが資源に⁈」という驚きとワクワク感を与えてくれました。

無印良品で行われたアップサイクルのイベント会場で藻岩高校の生徒と一緒に

イベントを開催して終わりではありません。幡さんは、ペットボトルの国内完全循環のためのJEPLANのリサイクル工場が北海道にできれば、北海道全体が活性化し、雇用の場も増え、石油資源を使わない環境にやさしい本当の意味での持続可能な社会の基盤が誕生すると考え、行動に移します。岩元会長にその想いを伝えると、「北海道の窓口に」とJEPLANの「BRING BOTTLEコンソーシアム」の北海道事務局を任されます。テックサプライに環境事業部を設立した幡さんは、行政の協力も必要だと考え、JEPLANや岩元会長と密に連携を取りながら、行政への呼びかけも精力的に行っています。そのかいあって、釧路市、根室市、浜中町、標茶町、鶴居村、北広島市、恵庭市などが、ペットボトル再利用に関する「地域循環共生圏推進に関する包括連携協定」をJEPLANと締結。その輪を広げようと今もビルメンの業務の傍ら、各市町村の環境や経済の担当部署を回っています。それは、「北海道を豊かに」という亡き父親の想いと重なるものがあります。

恵庭市の調印式で恵庭市長と地球環境防衛軍(JEPLANの岩元会長が隊長)のポーズ

すべての人を幸せにする。HXラボの誕生

経営者の集まりなどにも出るようになっていた幡さん。あるベテラン経営者から、「大事な資格は自分で取れるだけ取りなさい」とアドバイスを受け、警備業務に必要な資格を自ら取ります。仕事の傍ら、必死に勉強し、ビル管理に必要なものも取得。また、同様の経営者の会に参加した際、日本のDX(デジタルトランスフォーメーション)は海外に比べ20年近く遅れているということ、北海道はさらに遅れていると知ります。DX導入について検討するものの、費用のこともあり、これは本当に意味があることなのかという疑問が生まれます。

そのようなとき、「真のDXとは何か」を追求し、事業を行っているマーブルシステムズ代表取締役の時津宝生さんを紹介されます。単にデジタル化を進めればいいというわけではなく、そうすることで会社や社員がどう変わるのか、どう変えていきたいのかを考えるところから始めるべきだと言う時津さん。対話を重ねる中で、幡さんの中に「社員みんなが幸せになるためのDX」という目的が見えてきます。そうして生まれたのが、社員がハッピーになるためのDX、「HAPPY TRANSFORMATION® 」でした。二〇二二年の年明けから時津さんがテックサプライを訪れ、現場を見て回り、社員にヒヤリング。本当に必要としているものは何かを探り、そこからテックサプライに必要な形を作り上げていきました。社員全員に端末を持たせたことで、仕事の効率化はもちろん、現場ごとになりがちだった社員間のコミュニケーションが会社全体で取れるようになり、幡さんの考えていることや想いもダイレクトに届けられるようになりました。

時津宝生さんとの出会いでHXが誕生

幡さんは時津さんとのやり取りの中で、お互いが「どんな人にでも働く場所やチャンスを与えていくべきだ」という共通の想いがあることを知ります。時代のデジタル化が進むにつれ、今後どんどんエンジニアが必要になってくると言われています。老若男女問わず、コミュニケーションが苦手でも、引きこもりでも、定年しても、誰でもすぐにエンジニアになることができ、働く機会や生きがい、やりがいを提供していきたいという時津さんの考えは、さまざまな事情を抱えた多くの社員を見てきた幡さんに新たな希望を与えます。早速、スキルだけでなく、DXの本質の部分から学べる「HX(HAPPY TRANSFORMATION® )ラボ」を立ち上げ、時津さんと共同で運営をスタート。この春から真のDXを提供できるエンジニア育成のための講座が始まり、幡さんも参加しているそう。「警備やビルメンの資格を取得したのと同じで、まずは自分がきちんと理解することが大事だから」と、多忙な中、毎週講座を受講しています。

創業から来年で30年。次に見ているものは…

創業から29年を迎え、30周年を目前に、HXラボから派生した「IT事業部」を立ち上げます。持続可能な会社であり続けるために、「ビルメンテナンス」「警備」「IT」の3つの事業を柱にしていきたいと考えているそう。「時津さんの繋がりで、優秀なエンジニアがたくさんいるというベトナムのダナンへ行ったとき、エンジニアたちの働く建物を中心に商店、飲食店、学校、病院などがあり、ひとつの町ができ上がっているのを目の当たりにしました。過疎化が進む北海道の地方にも、このような場所ができれば…と思いました」。幡さんの中には、次なる大きな構想ができ上がっています。「リサイクルの工場、そしてエンジニアを集めたIT事業をハブとし、働く場所を提供できるようになりたいと考えています。そうすることによって、その場所に人がたくさん集まり、経済が回ります。そして私たちはその場所をキレイに整え、そこに集う人たちの心身の健康を守っていきたい」。事業を通じて持続可能な社会、ひとつの町を作り出そうというわけです。その根底には、「みんなが幸せになれるように。北海道を豊かに」という熱い想いがあります。

幡さんが見て衝撃を受けたベトナム・ダナンの町の航空写真

プライベートでは、亡くなった夫の13回忌を過ぎたあとに今の夫と出会い、再婚。「パートナーがいてくれるおかげで、生活と心の安定ができました。私は運がいいんです(笑)。人とのご縁に恵まれ、助けていただいています」と幡さん。そんな幡さんをずっとそばで見守り続けてきた秘書の福間ひとみさんは、「運がいいというのは、社長の人柄あってのことだと思います。とにかく社員のため、世のため、人のために一生懸命に行動される愛情深い方なので」と話します。決して饒舌とは言えない幡さんですが、最初の夫との馴れ初めといい、根っこから利他の精神の持ち主であることは十分に分かります。還暦を過ぎてもなおアクティブに飛び回る幡さんは、こども食堂など地域のボランティア活動などにも時間が許す限り参加。偉ぶることなく、集まった人たちと分け隔てなく接している姿が印象的です。

こども食堂のお手伝いにも毎月エプロン姿で参加

起業した際、幼かった三人の子どもたちも独立し、孫も誕生。「この子たちの未来のためにもより良い環境、地球を残していかないとね」と、そばにいた3歳になる孫の姿を見つめながら最後に話してくれました。

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取材・文/中村昭子(徳積ナマコ文章作成室)https://tokutsumi.com/

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