国には国のにおいがある!? ― 連載エッセイのスタートに当たり
海外に出てみないとわからないことというものは、確かにあります。
フランスで仕事をするため1993年の3月に日本を発ち、1年半ぶりに帰国した時、成田空港に降り立った瞬間、醤油の香りがしました。
気のせいかと思って隣のカミさんに聞くと、カミさんも同意見。その後、外国暮らしの長い友人たちにこの話をすると、賛同する人が結構いました。
僕はその最初の帰国以降、半年ごとに帰国していたのですが、空港の空気に醤油香を感じたことはそれ以来一度もありません。毎回感じるという人もいるので一概には言えませんが、僕の場合1年以上日本を離れていないと感じないようです。しかし、それぞれの国(あるいは地域)に独特のにおいがあるということは、あながち間違いではない気がしています。そしてそれは、その場所を離れてみない限り、決して自覚できないことなのです。
外国(あるいは異文化)の中で暮らした人は、外から見た故郷の姿を説明したいと思っても、なかなかわかってもらえないというジレンマを感じます。日本の空気に醤油のにおいが混じっているなどという他愛もないことはどちらでもいい話ですが、国の仕組みや社会の成り立ち、人と人の関わり方などになると、その問題点を実感としてわかってもらえないというのは、時にじれったい思いをするものです。
それでもやはり、外の世界を見てきた者としては、どうしても伝えてみたいことがある。
エッセイの連載をというお話をいただいた時、そんな観点でだったら少しは書けるかもな、と思いました。題して「フランス帰りの神主のつぶやき」。1万人の船の趣旨とはかけ離れるかもしれないし、かなり不定期で、かなり個人的な見解になりますが、よろしくお付き合いください。
さて、第1回目の今回は、「ガイコク時間」についてお話してみたいと思います。
日本を訪れる外国人がほぼ間違いなく驚くことのひとつに、日本人の時間感覚があります。特に列車のダイヤは、驚異的です。
海外を自力で旅したことのある人は、公共交通機関の〝いい加減さ〟にうんざりしたという経験を持っている人も少なくないと思います。ちなみにフランスでも、国を代表する新幹線TGVは、日本の新幹線よりもスピードが速いことが自慢の優れた性能を持っているのですが、基本的に15分ぐらいは遅れてくるという印象です。年々改良されているとはいえ、時には2時間ほど遅れることもあり、あまり当てになりません。その原因も「どうやらシカを轢いたらしいが、運転士が確認に行っているので少しお待ちください」なんてアナウンスがあればいい方で、何がどうなっているのかさっぱりわからない状態で放置されることも珍しくなく、お客が相当な我慢を強いられることは、覚悟していなければなりません。従って多くのフランス人は、海外旅行で飛行機に乗る時などは、よほど早めの列車に乗るか、そうでなければ大事をとって前日に空港に一泊します。
しかし世界はこんなものではありません。
フランスで教員をやっていた時、ボランティア活動をするために生徒を連れて何度かセネガルを訪れていました。今から20年も昔の話です。ダカールから400キロほど離れたクサナールという小さな町が活動場所でしたが、その町の自慢は、鉄道の駅があって電車でダカールまで行けるということでした。1日1本のその電車に乗って、人々は時々首都ダカールへ買い出しに行くのをとても楽しみにしているようでした。
そこで町の人に「へー凄いね。電車はいつ来るの?」と聞くと、「知らない」という答え。「えっ!?じゃあどうやって行くの?」「とりあえず駅に行って、電車を待ってる」「ええっ!?もしその日の電車が行ったばっかりだったら、どうするの?」「一日待てばいいじゃん」「ええええ!!!」「だって歩いて行ったら一か月かかるんだよ。だったら1日ぐらいどってことないじゃん!」「!!!!」。決して盛ってるわけではありません。
道路事情が悪かったセネガルでは、当時あちこちで横転しているトラックを見かけましたが、運転手は横転したトラックの下で寝泊まりしながらレスキュー(?) を待ちます。その待つ日数が、日本とは比較になりません。数日どころか、一週間ぐらい待っているなんてことはざらでした。もちろん今はずいぶん改善されているでしょうが、しかしセネガル人の時間感覚は、それほど変わっていないと思います。
そんな国々からすると、東海道新幹線の年間の遅れが36秒などという国は、まさに奇跡。というかこの世に存在することが信じられない、というレベルです。もちろん日本のそんな状況は決して悪いことではないのですが、しかし16年前に起こった「福知山線脱線事故」のような大事故が、2分の遅れを取り戻すために引き起こされたという話をすると、たいていの国の人はまさに口をあんぐり開けます。
「世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識」。どこかで聞いたことがあると思いますが、日本にいるとなかなか実感が湧かないのではないでしょうか。しかしこの「2分の遅れを取り戻すために大事故が起こる国」というのは、セネガル時間はもとよりフランス時間と照らし合わせても、あきらかに非常識な話なのです。
異文化を知るということは、自国の文化を知るということ。そして、世界目線で日本を見るということ。23年ぶりに帰国して、それはとても大切なことだと、つくづく感じています。
それでは今日はこの辺で。
書いた人/保井円
宗教法人大和神社 禰宜。古民家貸別荘「宿屋揖斐川」オーナー経営者。サンシール日仏友好協会名誉会長。
1993~2013年までフランス中部のサンシール市にあったフランス甲南学園トゥレーヌに国語教師として勤務。学園閉校後、観光業に携わり、2016年に帰国。古き良き日本文化を伝えるため、実家の古民家を改装し、2019年より宿屋揖斐川を始める。
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