ヤップ島と聞いても、その場所がすぐに思い浮かぶ人は少ないのではないでしょうか。日本から南へ約3000km、太平洋に浮かぶその島は、じつは歴史的にも日本とのつながりが深い場所です。長年日本とヤップ島で環境教育プログラムに取り組んできたNPO法人エコプラスの髙野孝子さんと大前純一さんにお話を聞きました。
伝統的な暮らしが受け継がれる「石貨の島」
抜けるような空の青、サンゴ礁に囲まれたどこまでも透明な海。陸地にはマングローブ林やヤシの木などの豊かな緑が広がり、咲き乱れる熱帯の花々がそれを彩ります。美しい自然に恵まれたヤップ島は、グアムとパラオの間に位置する、ミクロネシア連邦の州の一つです。
ミクロネシア連邦はフィリピンの東に浮かぶ607の島からなる連邦国家。ヤップ、チューク、ポンペイ、コラスエの4つの州があり、地域ごとに固有の言語が使われています。あまり知られてはいませんが、第二次世界大戦中は日本の統治下にありました。
ヤップ島では今もなお伝統的な暮らしが受け継がれており、そのシンボルともいえるのが石貨文化です。石貨とは巨大な石からドーナツ状に切り出された「石のお金」のこと。わたしたちが普段使っている貨幣とは少し異なり、気持ちを表す大切なものとして代々受け継がれています。
例えば、冠婚葬祭やおわびのしるし、不動産の取引など、お金では買えない人の「気持ち」や「心」、「思い」のやりとりとして使われます。大小さまざまな形のものがあり、大きいものはゆうに人の背丈を超えるほど。価値は大きさではなく、その石貨が持つストーリーによって決まります。また、石貨は動かすことができないため、所有者が変わった場合はその所有権だけが移動します。
現在は、日常生活では米ドルが通貨として使用されていますが、ヤップ島の石貨は貨幣とは異なる伝統文化の中に位置づけられているのです。
押し寄せる気候変動の波
そんな小さく美しい島に、気候変動の波が押し寄せています。
「ヤップ島ではここ20年くらい、乾季と雨季がはっきりしなくなってきているんです。乾季なのに雨が続いたり、雨季なのに雨が降らなくなったりしています。植物にも異変が起きていて、1年に1度しか果実ができないマンゴーが、1年に2回も実がなるようになり、収穫時期も大きくずれてきています」
そう話すのはNPO法人エコプラスの代表理事髙野孝子さん。エコプラスでは、日本の青少年が文化も生活も全く異なるヤップ島に滞在し、自然に生かされていることを学ぶ環境教育プログラム「地球体験チャレンジ ヤップ島プログラム」を1992年から実施。ヤップ島と日本との交流を30年近く続けています。
赤道付近に位置し、1年を通じて温暖なヤップ島では、1~3月は雨が少ない乾季、4~12月は降雨量が多い雨季でしたが、季節の境目がだんだんと曖昧になっているというのです。
「乾季には全く雨が降らなくなる干ばつが起きています。干ばつと言うと農作物が被害を受けるイメージを持つかもしれませんが、この島で干ばつが起きると飲み水がなくなってしまう。生活に直結する差し迫った話なのです」
と、エコプラスの理事・事務局長を務める大前純一さんは続けます。乾季に何ヶ月も雨が降らないために、山火事も発生。木々が生茂る沿岸部とは異なり、内陸部はラテライトと呼ばれる赤いやせ土が広がるため、シダ類しか育ちません。干ばつで乾燥したシダ類にマッチ一本でも火がつくと、あっと言う間に何ヘクタールもの土地に火が燃え広がってしまいます。
行き場のないゴミ
さらにゴミ処理についても大きな社会問題となっています。
ヤシの木で家を建て、海で魚をとり、自給自足するヤップ島の伝統的な暮らしには、自然に還らない「ゴミ」はもともと存在しませんでした。ところがグローバル化によってプラスチック製品などが輸入されることで、ゴミ処理問題が生まれたのです。大規模な焼却処理施設などを持たないヤップ島では、ゴミを埋めるしか方法がありません。従来は村ごとに「ダンプサイト」と呼ばれる大きな穴にゴミを投げ入れておくことで処理をしていましたが、環境への負荷も計り知れず、持続可能な方法とは言えませんでした。
そこで州都コロニアにあったゴミ処理場を2014年に環境保全型に整備し、いくつかの管区でゴミ収集を制度化しました。しかし、この処分場にも限界があり、「あと数年しか持たない」と大前さんは言います。
一方、リサイクル可能なペットボトルやアルミ缶などは、プレス機で圧縮して中国に輸出をしてきました。ところが中国は2018年1月から廃棄物の輸入規制に乗り出し、2021年からあらゆるゴミの輸入を禁止。1980年代以降、中国は廃棄物を輸入し工業用の原材料に加工してきた世界最大のゴミの輸入国でしたが、それがなくなった今、ヤップ島には行き場を失ったペットボトルやアルミ缶が積み上げられていくばかりです。
気候変動やゴミ処理問題など、さまざまな課題が山積するなか、島に住む人たちが立ち上がり自らの手で環境問題を解決しようと奮闘しています。
(つづく)
お話を聞いた人
書いた人/小林麻衣子
神奈川県出身、北海道在住。大学卒業後、農業系出版社で編集者として雑誌制作に携わったのち、新規就農を目指して夫婦で北海道安平町に移住。2021年4月からメロン農家見習いとして農業研修に励むかたわら、ライターとしても活動中。
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