この素晴らしき世界の、名もなき日々(3)旅をしてきた絵 ー 半世紀前のさくらんぼ

わたしが初めて花嫁さんを見たのは、斜向かいの家から文金高島田の女性が現れた秋晴れの日だった。近所の子ども達と一緒に、見たことのない美しさに引き寄せられるように集まっていった。チョコレートの包みを乗せたお盆を持った大人がわたし達に配り始めた。この「嫁菓子」と呼ばれる風習を体験したのは後にも先にもあの時だけだ。白く塗られたうなじの後ろ姿を見送りながら、待ちきれず甘いものを口に含んだときの嬉しさとともに今も映画のシーンのように思い出される。

ある日、知らない女性から電話を受け取った。共通の知人を通して拙書のエッセイ本のことを知り、手に取ってくださったという。その中に書いた油絵のエッセイを読んで、思わず連絡先を尋ねてくださったのだという。確かに、祖母が六十六歳から油絵を始めて家族中が驚いたことなど、子どもの頃の思い出ばかりを書いたエッセイ集だ。その女性は、実家に油絵があると話し、そのサインの名前から間違いなくわたしの祖母の絵であると言う。彼女の実家を聞いているうちに、話している女性が、あの遠い日の花嫁さんであることもわかったのだった。近所で区画整理があり実家を解体することが決まったので絵の行き先を考えていたところだという。偶然にエッセイを読んで、わたしに受け取って欲しいと説得してくださるのだった。

約束した日時にかつての斜向かいの家を訪ねた。同じ苗字で父親同士が下の名前で呼び合っていた家だった。今となってはどういう血縁なのかも不明だけれど、それ以上にふたりが親しくしていたから、祖母の油絵はその家に預けられるように渡っていったのだった。

黄色い百合と紫陽花、そしてテーブルに無造作に置かれたさくらんぼという構図の絵を見ていると、遠い記憶の中で祖母が描いていた初夏の日が蘇ってきた。当時のさくらんぼはまだ酸っぱい品種で、今のような甘いさくらんぼが出回る前の世代のものだったのだろうか、あれほど酸っぱくて爽やかな味はもう食べることはない。当時は今よりももっと貴重で、画材用に奮発して買ったのだった。子どものわたしは、祖母が絵を描き終えるのを待ちきれず、何度もせがんで、描き上げる後半に食べさせてもらったのだろう。あの酸っぱさを思い出して半世紀という時間が一瞬で戻ったような気がした。

わたしの幼き頃の記憶はどうしてこうも食べたもので思い出されることが多いのだろうと、再会した絵を見ながら、そして目の前の女性を見つめながら自然に笑みがこぼれるのだった。

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書いた人/櫻井 田絵子
人財醸し家・ファシリテーター
山形県鶴岡市在住。コワーキング・キッチン「花蓮」主宰、人財育成「オフィス櫻井」代表 キャリアコンサルタント、フードコーディネーター、経営学修士。2022年エッセイ集「月のような山―あのころに戻る時間」を上梓(Amazonほか)

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