子どもの頃から世界平和を願う女性がはじめた函館の焼きピロシキの店
函館は日本で初めてロシア領事館ができた街。異国情緒あふれるこの街に「まるたま小屋」というピロシキの店があります。ピロシキといえば、多くの日本人が「揚げ」を想像すると思いますが、まるたま小屋で提供しているのは「焼き」。代表の北見伸子さんが、「本場では焼きピロシキなんですよ」と笑顔で教えてくれました。
今回の主人公である北見さんは、不思議な魅力をまとった女性。勢いがあってパワフルに見えるけれど、どこか人を包み込むような優しさや温かさがあります。そして何より頭の回転が早く、まるで暗記した台本を読んでいるかのようにスラスラと言葉が出てきます。つい話に引き込まれ、メモを取るのをうっかり忘れてしまうくらいです。
さて、千葉県出身の北見さん、世界平和について真剣に考える子どもだったそう。「小学生の頃、世界はアメリカとソ連がにらみ合う東西冷戦の真っ最中。その状況に恐怖を感じていて、子どもながらに世界を平和にするために大きくなったらアメリカとソ連の偉い人に手紙を書こう、会いに行って平和な世の中を作りましょうって提言しようと本気で思っていました」と振り返ります。
そんな北見さんが海を越え、北海道にやってきたのは18歳。北海道大学法学部に進学するときでした。函館で暮らすようになったのは24年前。夫が函館高専で教鞭を取ることになり、函館へ。北見さんは2女2男の子どもたちの子育てをする傍ら、北海道国際交流センターでニートや引きこもりの方の就労支援事業に関するものづくりのコーディネーターとしても活躍していました。
さまざまなご縁や繋がりに驚くばかり! 不思議な場所「まるたま小屋」
「冷戦が終わって、アメリカには留学したけれど、ロシアのことはすっかり抜けていて(笑)。でも、函館に引っ越してきたらいたるところにロシアのものがあって、あっという間にロシアの食や雑貨などが好きになりました」と北見さん。
中でも北見さんを虜にしたのが、「焼きピロシキ」でした。函館の梁川町にあった「カチューシャ」という店で初めて焼きピロシキを食べ、そのおいしさに驚きます。「揚げたピロシキと違って、外がカリっとしていて中がモチっとした柔らかさ。具はジャガイモとお肉とシンプルなんだけどとてもおいしくて」。カチューシャのオーナーであった吉田和子さんによると、日本人好みに若干改良したレシピということでしたが、北見さんは焼きピロシキに魅了されていきます。
函館とピロシキについても調べ尽くし、1811年に松前藩に幽閉されたロシア海軍の軍人・ゴロウニンの「日本幽囚記」の中に、「日本人が作ってくれたピロシキがおいしいと書かれていたんです。そして、その日本幽囚記を読んで日本に来たのが、ハリスト正教会の2代目神父のニコライなんです」と北見さん。さらに続きがあり、「ニコライのところに居候していたのが、同志社大学の創始者・新島襄で、彼がアメリカでクラーク博士に学んだのがマサチューセッツ州のアマーストカレッジと言われています。実はアマーストは、私の留学先でもあるんです!」とニッコリ。不思議なご縁で繋がっている気がすると北見さんは話します。
好きが高じて、2015年に焼きピロシキとボルシチの店「まるたま小屋」をオープン。函館山の麓にある当時築80年の長屋で店を始めました。この場所も不思議なご縁や繋がりがある場所で、「大家さんのおじいさんが船乗りでロシア語が堪能だったとか、昔ここに住んでいたことがある女性が店にいらして、別のときに来てくれた女性と実は幼馴なじみだったことが判明し、電話をかけて何十年ぶりにお話をする機会をもうけさせてもらったことも。本当にいろいろあるんですよ」とエピソードが次々に飛び出します。
店をオープンしたもののまだロシアに行ったことがなく、一度は本場でピロシキを食べたいと考えていた北見さんは、ネットを駆使して世界中のピロシキ専門店を探します。「結局一番惹かれたのがウクライナのキーウのピロシキの店でした。さらに、ボルシチがもともとはウクライナ料理だというのも知って、2017年には初めてウクライナへ。行こう!と思い立って半年後にはウクライナに飛んでいました(笑)」。ニューヨークのウクライナ人街にボルシチがおいしいveselkaという店があると聞くと、そこにもすぐに飛んで行ったそう。そのフットワークの軽さにも驚かされます。
想いをかろやかに包むピロシキ。最終目標は、世界と平和の2つを食事で繋ぐこと
「ピロシキって、何の具材を包んでもいいんです。ジャガイモとお肉のような惣菜系はもちろん、クリームなどの甘いものもOK。だから、ピロシキの店をやるとき、軽やかにいろいろな想いを包むものでありたいと考えていました」と北見さん。どんな具材を入れてもそれをおいしく包み込むおから入りの生地は、北見さんが考案したオリジナル。店で販売しているピロシキも具材はバラエティに富んでいます。いずれも原材料にこだわり、北海道産の食材を用い、化学調味料は不使用。「本場のロシアの人たちが、おいしい、おいしいって言ってくれるんですよ」と嬉しそうに話します。
店名のまるたまというのは、「まるごと卵がかえる場所」から付けたそうで、「性別、年齢、国籍などを超えて、働く人たちがそれぞれの得意を活かして仕事ができたらと考えています。各自の得意の卵がかえる場所でありたいと願いを込めました。作ったものでお客さまに喜んでもらい、やりがいや生きがいを感じ、そして豊かで自立した生活を送れたらと考えています」とその想いを語ります。
「そしてもう一つ、私が考える最終目標はミールニィミールです」と北見さん。ミールニィミールとは、MИP2MEALと記し、MИP(ミール)はロシア語で世界や平和を意味します。MEALは英語で食事のこと。「世界と平和の2つを食事で繋ぐという意味なんです。食べ物の前ではみんな平等だと思っています」。2017年には「世界平和のコツは家庭のキッチンから」と「愉快な料理学会」なるものも開催。冷戦時代に平和を強く願った少女時代から、北見さんの根っこにあるのは世界平和なのだというのがよく分かります。
また、北見さんはLGBTQに関する活動を行う団体「レインボーはこだてプロジェクト」の代表も務めています。「もともと芝居をやっていた繋がりで親しくなったトランスジェンダーの友人がいました。彼は女性として生まれましたが、私が会ったときはすでに男の子で、LGBTQについてみんなに知ってもらおうと活動していました」。彼が亡くなったあと周りから活動を手伝うように言われていた北見さん、ちょうどその頃、北海道教育大学函館校の地域プロジェクトにも協力しており、担当していた先生からLGBTに関する学生とのプロジェクトをしたいと相談を受けます。そして、そのプロジェクトを機に、「レインボーはこだてプロジェクト」が誕生。「その後、北海道のLGBTQの活動団体『にじいろほっかいどう』の理事長・国見亮佑さんと出会い、みんなでピロシキ作ったら?となり、『ゲイの人と焼きピロシキを作って食べる会』(ゲイピロ)というイベントを開催するようになりました」。このゲイピロのテーマも「かろやかに想いを包む」。みんなが集まって、おしゃべりしながら好きな具材を包み、それを笑顔で食べるのだそう。「抱えている苦しみを軽やかに包んで、みんなでおいしいねって笑い合いながら食べることが大事だと思っています」と話します。
皆が幸せに働ける場所を各地に作りたい。まだまだ挑戦は続く
焼きピロシキを広めて函館の名物にしようと、2018年には「ソユーズはこだて焼きピロシキ」を立ち上げました。加盟している函館市内のパン屋などで、それぞれの焼きピロシキを販売しています。また、毎年「ピロシキ博」を函館で開催しています。 焼きピロシキを通じて、世界平和、そして一人ひとりが得意を生かして働ける場作りを形にしている北見さん。次に考えているのは、まるたま小屋のボランタリーチェーンなのだそう。「フランチャイズではなく、加盟店同士が横に繋がることができ、お互いに助け合うことができるボランタリーチェーンを展開したいと考えています。生地はうちのオリジナルを使ってもらうけれど、中の具材は自由。それぞれの地域の特産物を使ってもいいし、それこそ廃棄になってしまう食材を有効活用するのもありだと思います。メニューだって、日替わりがあってもいいし、ある店で人気があるレシピを別の店が教えてもらって提供するなど、交流もあっていいと思っています」とキラキラした目で構想を話します。
障がいのある方やコミュニケーションが苦手な方、ジェンダー問題で苦しい思いをしている方、子育て中で大変な思いをしているお母さんたちなど…、いろいろな人が集まって、得意を生かしつつ、助け合いをしながら仕事のできる場所が各地にできればと考えている北見さん。「みんなが思いやりを持ち、物心ともに豊かに暮らせるようになれば、それだけでまず世界平和に近づくと思うんです」と話します。まるで、まるたま小屋がピロシキの生地のような感じがします。まるっとみんなを包み込んでいるような感覚です。
世界各地で争いが絶えず、不穏な空気が漂っていますが、みんなでおいしいものを作って、食べることが平和への第一歩。焼きピロシキが世界を変えるきっかけになる日が早く訪れることを強く願いたい2023年の年末です。
取材・文/徳積ナマコ
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