SNSのおかげで続いている友人の中には、リアルの友人よりもお互いの心境を正直に語り合える友人も少なくない。「彼女」はそんなひとりで、近況を綴る中に自身の感情を間接的に表現していて、読んでいると知らぬ間に引き込まれ響き合うような共感を覚えることが何度もあった。
そんな彼女の近況は、企業からの依頼でチームの一体感やモチベーションを高めるためのショートムービーを制作する仕事のことだった。対象となる人に、それまでの職場での温かな場面を思い出してコメントとして提出してもらったところ、その数が三百ほどになり読んでいるうちに自分自身の経験も思い出されたというのだ。
新人で教えてもらうばかりだった頃、ひとりで仕事を抱え込んでしまったとき、大変な失敗をしてしまったとき、残業続きの頃、一番緊張した仕事、チームが表彰されたとき、さまざまな打ち上げ。その時々の周囲のかけてくれた言葉や、何気ない会話、一緒に美しいものを見た無言の時間、などなど。
仕事の資料から喚起された彼女の職場エピソードは箇条書きにして綴られ、それらはすべて「だったな」で終えられている。その独特のリズムの箇条書きを読んでいくうちに、今度は私の心の内側でも何かが誘発されて、かつての職場の空間が頭の中にすぅーと広がってきた。
小さなエピソード群は次第に熱を帯びてきて、過去形で終えられているのに、動画のように私の追憶のイメージと混ざり合っていく。不思議なことに、それは今のままでは進めない境地にも誘ってくれるほど力強く、過去がまとまりあって膨大な時間として背中を押してくるのだ。
『組織で働いていた頃の小さなエピソードを私も思い出したくなりました。そういうものにしか宿らないものが琴線に触れて、大きな決意がその先にあるような気がしました。ありがとうございます』
つい、書いてしまったコメントに返信があった。
『自分の一つひとつの記憶は何気ないものであっても、その総体として迫ってくる感覚が久々に訪れて、しみじみしてしまいました。魂は細部に息づいているんですよね、きっと。人の語りに触れると、自分が触発されるので、改めてその循環を何かしらで提供していきたいと思いました』
「だったな」は魔法の言葉なのかもしれない。過去を肯定も否定もしないで、淡々と紡ぐように連続されると、普段眠っている内なる水脈のどこかにぶち当たり、連鎖を引き起こす。自分の知らない内側が顔を出して、「本当はこちらに進みたいんでしょう」と新しい方向を指差してくれている。琴線とは日常が紡いでいることに気づき、日常の小さな会話を愛おしく振り返りたくなった。
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書いた人/櫻井 田絵子
人財醸し家・ファシリテーター
山形県鶴岡市在住。コワーキング・キッチン「花蓮」主宰、人財育成「オフィス櫻井」代表 キャリアコンサルタント、フードコーディネーター、経営学修士。2022年エッセイ集「月のような山―あのころに戻る時間」を上梓(Amazonほか)
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