【LINKな人】vol.2田中稔さん(島根/さつまいも工房ゆきあかり代表)

【LINKな人】

全国各地に、地球や未来の子どもたちのことを考えた活動をしている人がいます。サステナブルな暮らし方や働き方をしている人がいます。アプローチや実践の仕方はそれぞれですが、根っこにある想いはLINK!読者ときっと近いものがあるはず。このコーナーではそんな人たちを紹介していきます。2回目は、島根県飯南町で宿泊施設に勤務する傍ら、兼業農家としてサツマイモの自然栽培や加工品作りを行っている田中稔さんです。

島根県の中南部に位置する飯南町。美しい里山の風景が残る人口4700人ほどの小さな町です。現在、県民の森にある宿泊施設に勤務する傍ら、兼業農家としてサツマイモの自然栽培や加工品作りにも日々奮闘しています。また、地域活性化のため古民家再生プロジェクトにも着手。そんな田中さんのこれまでとこれからを語ってもらいました。

生まれも育ちも東京。高校時代はテナーサックスに夢中

田中稔さん(職場にて)

東京生まれ、東京育ちの田中さん。鰻屋を営む両親のもと、4人兄弟の3番目として誕生し、小学生の頃から両親の手伝いをしていたそう。今からは想像もできませんが、「飲食店をやっている家って、親が忙しいから家庭の食事は案外粗末。仕方なくインスタントに頼るときも(苦笑)。当時はキュウリのスライス1枚でさえ、食べられないくらい野菜が嫌いで、偏食でした」と笑います。

弟と一緒に。左が田中さん

高校時代はマーチングバンドに所属し、テナーサックスを吹いていたそう。その頃の夢は、ジャズミュージシャンになりニューヨークへ行くこと。まずは音楽の専門学校へ進学しようと考えます。学費を自分で出すと決め、高校卒業後は1年間アルバイト生活を送ります。「子どもの頃から接客をしているせいか、接客業ばかりしていましたね」。中でも、デパートの地下にあるコーヒーショップでのアルバイトは、田中さんの接客業に対する軸を決定づけました。毎日訪れる仏頂面の女性客。誰も接客をしたがらない中、「笑顔は相手に伝染するという考えが自分にあって、このおばさんで実験しようと思った(笑)」と、その女性を担当することを志願します。笑顔で接客を続けること1カ月、仏頂面は変わらなかったのですが、近くにほかのスタッフがいても、わざわざ田中さんを指名するようになり、最後にはとうとう笑顔を見せてくれるように。「接客は、相手の心に触れることだとこのときに確信しました」。また、このアルバイトで、お客さんの気配や視線、動きを先に読んで接客することも学んだと言います。

究極の接客業・エンターテインメントの世界へ

念願の専門学校に入学し、両親の店を手伝いながら学校へ通い始めます。そんなある日、某テーマパークへ遊びに行き、そこで見たエンターテインメントの数々に感動します。それ以来、年間パスポートを購入し、テーマパークへ通う日々。徐々に学校へ行かなくなり、ショーに出演したいとオーディションを受けます。見事合格し、ショーの出演者として働き始めることに。「エンタメは接客の極み。お客さんの期待に応える、満足してもらうことが大切なので、自分の100%を超えるパフォーマンスをしなくてはお客さんに申し訳ないと思っていました。とにかく喜んでもらいたい一心でしたね」と振り返ります。

テーマパークにいた頃、仕事以外でダンスユニットも組んでいたそう

ちょうど30歳を迎えるころ、「楽しすぎて辞められない」と思うと同時に、体力的にきつそうにしている先輩たちの姿も目の当たりにします。そんなとき、同僚の結婚式の二次会の幹事をやることに。分からないなりに一生懸命作り上げたパーティーを周りはすごく良かったと言ってくれましたが、「僕の中では納得いかない部分があって、悔し涙まで出ちゃって(笑)。それで、ブライダルのことをもっと学びたいと思って、働きながらブライダルの学校に通い始めました」。

会員制レストランのブライダルコーディネーターとして活躍

学べば学ぶほどブライダルの世界に魅了され、ブライダルコーディネーターの仕事に就きたいと考えるようになります。7年務めたテーマパークを思い切って退職。東京・恵比寿にある会員制のレストランで専属コーディネーターとして働き始めます。結婚式という1日のために半年近くコツコツと準備を重ねていく仕事、失敗は一切許されないため、強いプレッシャーもあったそうですが、お客さんに喜ばれるという大きなやりがいもありました。

東京でブライダルの仕事をしていた時代

また、仕事を介して知り合ったスーパーマダムのような女性から、人生とは、人間とはについていろいろ伝授してもらったのもこの頃。「向き、不向きはどうでもいい。ただあなたが前向きであればいい」「自分にどれだけ学ぶための投資できているか」「接客は、相手に好かれる前に自分が相手を好きになること」「人の為とよく言うけれど、偽りという字は人偏に為と書く。偽りであることを分かった上で、人の為に物事をやりなさい」など、たくさんのことを教えてもらい、その言葉の一つひとつは今も田中さんの中に刻まれています。

東京を離れたい…。37歳で島根へ移住を決断

2011年に入り、3.11が起き、世の中が暗い雰囲気に飲み込まれるとともに、ブライダル業界も価格競争の波が押し寄せ、これまでのように思った通りの仕事ができなくなっていました。そして、2013年に2020東京オリンピックの開催が決定すると、「オリンピックまでに東京を出ようと思いました(笑)。漠然とですが、今あるものを壊して、オリンピックのためにまた新しいものを建てることに違和感があったのです。地球の環境問題のこととかいわれているのに、経済優先でこんなことしていていいのかな…って感じて」。そんなことを考えていたとき、市民活動家的なことをしている後輩のイベントに誘われて参加。これまであまり興味のなかった政治にも関心を持つようになります。「大きなデモに1人で参加してみたり(笑)。たくさんの人が不平不満を持ってムーブメントを起こしている様子を見て、涙が出そうになりました。でもね、その声が届いてほしいところに届いていないことに脱力感のようなものを感じて…」。東京という場所が目に入らないところへ行きたいと、以前訪れた島根に移住することを決意します。前述したマダムの紹介で、島根でブライダル事業も手掛けている会社へ就職。今から5年前、ちょうど37歳のときでした。

最初は松江での勤務でしたが、会社の事業のひとつに飯南町のホテル運営があり、「自然が豊かで、ここで結婚式ができたら素敵だろうな」と感じ、異動願いを出します。ブライダルの経験はあっても、ホテル運営の経験は皆無。一からホテルの仕事を覚え、同時にブライダルのプランも組み立てていきました。「せっかくなら完全オリジナルのブライダルをと考え、第一号のお客さんのときは、飯南町の人たちにも協力してもらって作り上げました」。飯南町は出雲神社の大きなしめ縄を作っている町なので、両家の縁を繋ぐという意味を込め、しめ縄のブーケやブートニアを用意したり、デザートのアイスは両家の地元の特産品を使ったものを特注するなど、町を巻き込んだブライダルプランを作り上げました。そして、田中さん自身もこのアイス作りに関わってくれたご縁で、のちに奥さんとなる寿子さんと出会います。また、町の地域活性の集まりにも顔を出すように。「東京から来たからこそ見えてくるこの地域の良さというのもあるんですよね」。

結婚し、男の子に恵まれます。食にも関心を持つように

子どもたちの未来のためにも、地球を大切にしたい

移住から2年、39歳のときに寿子さんと結婚し、祥介(しょうた)くんが誕生。「嫁さんはマクロビとか食に気を使う人なのですが、僕自身はそれほど食に関心はなく…。でも、嫁さんの影響と息子の食物アレルギーがきっかけで、食について考えるようになりました」。いろいろなことを調べ、勉強をはじめるうちに、腸を整えることが大事であると知ります。腸にいい食材として教えてもらったのが、大麦とサツマイモでした。「実は、嫁さんが大のサツマイモ好きで、いつかサツマイモ農家をやりたいと言っていたのです。腸にいいならば、もうやるしかないでしょとなり、サツマイモを本腰入れて作り始めました」。

これまで経験のない農業にも挑戦

さらに、食育を通じて発達障がいの子どものサポートをしている前島由美さんが島根にいることを知ります。「前島さんの話を聞き、農業と環境のこと、そして食のこと、すべてが繋がっていると分かりました。自分の子どもはもちろん、未来の子どもたちのためにできることをしたいと考え、給食をオーガニックにという活動に関わるように」。フーズフォーチルドレン山陰の活動をはじめ、食と農でこれからの未来を変えていこうと「手と手をあわせて」という飯南町の活動グループを立ち上げます。

この春からは、栽培したサツマイモを加工する「さつまいも工房ゆきあかり」もスタート。ひと口サイズのキャンディーのようなかわいい干し芋を販売しています。甘みが強く、とろけるような食感で、すでに固定のファンも多数。次の出来上がりを楽しみに待っているそうです。

また、町内にある特別神社「由來八幡宮」の下にある大きな古民家を取り壊すという話を聞き、地域活性化のため、地域の子どもたちのためにもそれを残して活用できないかと動いています。「僕を中心とした核メンバーと一緒に、町内の交流拠点の場作りを試行錯誤しています」。

家族と一緒に

もうすぐ2人目の子どもが誕生する田中さん。「たった1つの地球を大切にしたいという想いは、東京を離れようと決めたときから変わっていません。子どもが生まれ、そういう想いはさらに強くなりました。できることをしっかりやって、未来にきちんとバトンを渡していきたいですね」と、笑顔で話してくれました。

取材を終えて…

サービス業のプロの方にはこれまでもたくさん会っていますが、笑顔にウソがない方はほんの一握り。接客、エンタメ、ブライダルと、とことん極め続けた田中さんの笑顔にはウソがない。ホスピタリティ精神溢れる、根っからのサービスマンなのです。それはきっと、人に寄り添い、人を喜ばせることが、田中さんにとって本当にうれしいことだからなのではないかと思います。これから、子どもたちのため、地域の人たちのために、みんなが喜ぶことをどんどん仕掛けてくれるのではと期待しています!

書いた人/徳積ナマコ
生活情報紙の編集、広告制作の会社勤めを経て、フリーランスに。ライフスタイル、クラフト、食、アート、映画、ドラマ、アウトドア、農業、健康、スピ…と、興味があるとなんでも首を突っ込む。人の人生ややりたいことの話を聞き、まとめるのも好物で、最近はプロフィールライターとしても活動。

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    • 田那部由美

    稔さんのいつも楽しそうなルーツは想った事をする行動力、周りの人の言葉を大切にし続ける素直さからだったんですねー。
    大好きな人の人生を知れてまたまたファンになりました♫ありがとうございます♪

    • 半田眞道

    皆さん方の投稿拝見して、田中さんの笑顔の素晴らしさが感じとれました‼️田中さんのお勤めの森りのすに来られた感想メモに田中さんの笑顔の記述が多くありました!
    この度、手と手をあわせてをご縁に、地域の発展に共にご縁を深めればとの思いです‼️

    • ご本人

    いやぁ、そんな誉め言葉を頂けるなんて本当に嬉しい極みです。でも、本当に笑顔で笑顔は引き出せます。なので僕はじいさんになってもこれはやめませんよ♪だって、笑顔で接して貰いたいもん。世界中がこういうあったかい気持ちになれたら、きっともっと、良い世の中が作れると思いますよ。ウソじゃない笑顔であればね。あ、そうか。ここでLINKしていく皆さんと共にそういう世の中にしていけば良いのか。なぁんだ。簡単じゃねぇか。(笑)

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