「人間が幸せに生きる基本モデルを作りたいと思っています」。そう話すのは、人口3000人ほどの高知県本山町に暮らす加藤和(のどか)さん。10haの山林を有し、大工さんに協力してもらいながら建てたセルフビルドの家で家族と暮らしながら、新しいコミュニティ作りを始めています。今回のLINKな人はこの加藤さんが主人公。彼が考える「人間が幸せに生きる基本モデル」とはどのようなものなのか、加藤さんがどういった経緯でコミュニティを作ろうと思ったのか、お話を伺いました。
大学進学に対する疑問と母の想いの間で葛藤
加藤さんは東京出身。両親は共働きで忙しくしており、一緒に暮らしていた祖父母が面倒を見てくれていました。本が好きな子どもで、「家にある本を読んで過ごしていました。よく読んでいたのは祖父の百科事典ですね」と話します。かつてどこの家にも買い揃えてあった数十冊の百科事典を隅から隅まで読んでいたそう。
小学4年のときに学者だった父親がガンになり、闘病の末、6年の時に亡くなります。家族が看病をしていたため必死に受験勉強をしたわけでもなく、親が教育熱心だったわけでもありませんが、成績が良かったので周りに勧められるまま進学校で知られる開成中学へ。進学後は、学校の課題や勉強に追われる日々。そのような中でも漠然と「人はどう生きるべきか」と哲学的なことをずっと考えていたと言います。
中高一貫校で、東大合格者数日本一を誇る開成。当然のように周りは東大を目指していました。ところが加藤さんは進学しないという選択をします。「特に夢があったわけでもなかったのですが、大学に入ったあとについて考えたとき、いろいろなことが決められている気がして、自由がなくてつまらないと思って…」。しかし、周囲はそれを許してくれませんでした。海外を飛び回ってバリバリ仕事をしていた母親に大学だけは行ってほしいと懇願され、2つの大学を受験。合格するものの、頭の中ではいつドロップアウトするかばかりを考えていました。
あやふやな気持ちのまま有名私立大の理工学部へ入学。2年生のときに「やっぱり嫌だ」と、退学ではなく除籍する形で大学を去ります。「母には猛反対されました。再度話し合った際、どうしてもどこかの大学に行ってほしいと言われ、そこまで言うならと学費の安い東京都立大学(現・首都大学東京)の夜間部へ入学しました。親孝行のために大学へ行っている感じでしたね」。首都大学時代は劇団に入って脚本を書いたり、自身も舞台に出演したりして過ごしていました。
高知県本山町へ移住し、10haの山林を購入
卒業後、大学時代に知り合った3歳下の妻と結婚。アレルギーなどに悩まされていた妻の健康のことを考え、静かで自然に囲まれたところへ移住しようと仕事の傍ら移住先を探し始めます。まだインターネットに情報が少ないころだったので、自分たちで農業研修制度(今でいう地域おこし協力隊のようなもの)を導入している町に連絡をして情報を集め、実際に現地へ赴くという生活を送っていました。
移住先に選んだのは高知県本山町。移住者に対する対応も良く歓迎ムードだったことと、棚田のある昔ながらの美しい里山風景が決め手となりました。2006年に町の農業研修生として移り住み、2009年には元々牧場だったという山奥に10haの土地を購入。地元の大工さんと加藤さんとで1年ほどかけてそこに家を建て、2011年から暮らし始めます。
開墾して畑などを広げていくつもりでしたが、「10haは広すぎましたね。0.3haくらいまでなら楽しんでできたのですが、1haにもなるときつくて」と笑います。手伝ってくれる人を探そうと考えたとき、WWOOF(ウーフ)を知ります。有機農家とウーファーと呼ばれる世界中の人たちによる助け合いの仕組みで、ホストである農家は食事と宿泊場所を提供し、会員登録しているウーファーと呼ばれる人たちはそこで農家のお手伝いをするというもの。金銭のやり取りは一切なし。加藤さんは早速WWOOFのホストになり、ウーファーを受け入れます。これまで100人以上の人が訪れ、開墾作業を手伝ってくれました。そのほとんどは外国人だったそう。
それと同じ頃、東京で一人暮らしをしていた祖母が認知症と診断されます。母親代わりになって加藤さんを育ててくれた祖母を一人にしておくことはできないと、加藤さんは敷地内にセルフビルドで離れを建て、祖母を呼びます。自然の中で穏やかに生活するうちに祖母の症状も落ち着き、2年ほどして高知市内のサ高住へ。95歳になった今も元気に暮らしており、加藤さんも定期的に訪れています。「僕にとって祖母の介護は、今コミュニティを作る際に必要な経験だったと感じています」。
2017年からは、移住促進などを目的とした滞在型市民農園「クラインガルテンもとやま」の管理人の仕事も引き受けます。「本山町はとてもいいところなのに、どんどん人口が減っていき、たくさんある田んぼも荒れ果て、なんか嫌だなと思いました。そこで移住希望の人たちに本当に移住してもらえるようにするには何が必要かを考えました」。移住したい人がまず必要とするもの、一つは仕事、もう一つは住むところです。住むところも屋根があればいいというわけではなく、隙間風が入らず、水洗トイレがあるような家が理想です。そこで、このような家を用意するため2020年から不動産業も始めます。さらに、本来こうした取り組みは行政がもっと介入するべきだと考え、本山町の町長選に出馬。落選しましたが、この経験から大きなレベルで物事を捉えたときに国政を変えなければ根本は変わらないと感じ、今は「スギ花粉をなくす党」を作ろうとも考えています。
人が幸せに生きるためのコミュニティ作りに取り組む
「いろいろやっているうちに、僕の中で〝人の幸せはコミュニティ〟だという考えに至りました」と加藤さん。子どもの頃から、忙しく働き続けていた母親や周りの大人たちを見て、「なぜ人はこんなに忙しく働かなければならないのか」「幸せに生きるとはどういうことか」と疑問を抱いていましたが、本山町へ移住し、田舎のコミュニティに関わり、子育てや介護の経験も経て、人間は集団で生きるべきだと感じ始めるようになりました。
そして昨年、三重県鈴鹿にある「アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ」を訪れた際、人の生き方としての正解を見たと確信。ぼんやりしていたコミュニティの輪郭がはっきりしたと言います。「現代社会はストレスフルで、人々は常に不安や心配を抱えていますが、鈴鹿で僕が見たのはごくごく普通の人たちが集まって幸せに暮らしている様子でした。競争もなく、余計な不安もありません。そのコミュニティは100人ちょっとの大きな家族のような共同体で、みんなが安心して、本心で生きていました。例えば、3人家族で大黒柱が倒れたら生活の不安に陥りますが、100人家族の共同体なら1人が倒れても何とかなると思えますよね。僕はこれをこの本山町で作ろうと思いました」。 早速、興味のある20人ほどが集まってコミュニティ作りをスタート。「タイボアレ村」と名付けました。タイボアレというのは、加藤さんが暮らす地区の中で昔から使われている本当にある地名なのだそう。コンセプトは「幸せに生きること」。手始めに加藤さんの敷地内に10人くらいが寝泊まりできる建物を半分セルフビルドで建てる計画をしているほか、小水力発電の準備も進めています。コミュニティの規模としては最大100人くらいを想定。「100人ならそれぞれ顔と名前を覚えられるので、家族的な集団としてちょうどいいかなと。僕は家族が増えるということは、自己の範囲を拡大することであると考えています。コミュニティの本質は人間。いかに密な人間関係を構築できるか、垣根のない関係を築いていけるかが重要。ここに関しては、時間の積み重ねが必要かなと思っています。また、現代社会を生きていくにはハード面の整備も必要なので、団体を作って借り入れをしたりもしますが、あくまでビジネスではなく〝人が幸せに暮らすためのコミュニティ〟です」。
また、エコビレッジを作ろうというものでもなく、コミュニティには特定の思想もありません。育児、介護、教育、保険などコミュニティ内で自給をすればみんながラクになるものは自給し、いかに仲良く楽しく暮らせるかに焦点を当てています。「幸せに暮らすためには信頼できる人がいるかが大事。もちろんケンカもあるでしょうけど、結局話し合うしかない。話し合いの時間が大切だと思っています。現代社会ではお金を稼ぐための時間に注力しがちですが、信頼関係構築の話し合いにその時間を費やしたほうがずっと健全だと思います」。コミュニティ内で誰かが誰かをコントロールすることをよしとせず、「コミュニティと言ってもカッチリした線引きはせず、そこに信頼関係ができていればフワッとした感じでいいと思っています。繋がりは多方面にあったほうがいいと思うので」と加藤さん。「僕はここで人間が幸せに生きるための基本モデルを作りたいのです。そして、第2、第3の集落が増えていけばいいなと思っています」。時に面倒だと感じることもあるそうですが、「自分にしかできないことをただやっているだけ。人が喜んでくれるなら、それでいいかなって。僕はずっとそういう性分でやってきているので」と笑いながら話す様子が印象的でした。
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取材・文/徳積ナマコ
生活情報紙の編集、広告制作の会社勤めを経て、フリーランスに。ライフスタイル、クラフト、食、アート、映画、ドラマ、アウトドア、農業、観光、健康、スピ…と、興味があるとなんでも首を突っ込む。人の人生ややりたいことの話を聞き、まとめるのも好物で、最近はプロフィールライターとしても活動。https://tokutsumi.com/
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